私は、幼少期よりとりわけ目立つ存在感を放つわけでもないにもかかわらず、気が付いたらいつも周りから背中を押され〇〇長の役回りを受けてきました。
振り返ってみると、自ら進んで手を挙げ、そのポジションを取りに行ったのは1、2回に過ぎなかったと思います。
そんな私ですが、今では自ら会社を立ち上げ、気が付けば10年という時を経て、次の10年に向けて今尚歩み続けさせていただいています。
今の仕事へのベクトルがしっかりと向いたのは、大学3年生になってからでした。それまでは、人生の方向性がブレブレで本当にやりたいこと、自分にできることに向き合うのには時間がかかりました。今思えば、その当時は何かを探しているといいながら、自分の人生に向き合おうとせず、ただ逃げていたのだと思います。
大学受験では、某国立大学の内定をもらったにもかかわらず「自分のやりたいこととは違う」、と親を困らせ、1年浪人をさせてもらいました。その後、何とか志望大学に入ったものの、本当に自分のやりたいことは何なのかが定まらず、悶々とした日々を送っていました。
そんな中、年末実家に帰省した際に、地元の小さな医院の前を通り、胸が熱くなりました。そう、私が初めてリハビリというものに触れ、人の温かみと安心感を強烈に覚えた場所です。私が今の道を選択し、進んだのもすべてはここからでした。
当初高校生ながら、担当いただいた方の技術ではなく、その表情や口調、行動の一つ一つに感動を覚えた記憶が強く蘇ってきたのです。それを機に、私の中での迷いがなくなり、理学療法士としてリハビリを通じて人を幸せにしたいという思いを強く持ち、無事に大学を卒業、就職に至りました。
病院に就職してからは、とにかく臨床での経験を日々積むことに必死でした。リハビリのスペシャリストとしてスキルを磨くため、就業前の朝練、昼休みの昼練、そして終業後の夜練。毎日がむしゃらでした。
手前味噌ではありますが、お陰様で仲間にも恵まれ、経験を増すごとに、患者様や多職種とのコミュニケーションにも少しずつ磨きをかけることができました。
そして、自分のペースで仕事ができ始めたころ私の中で2つのことに対し、思いを馳せるようになりました。
ひとつは、病院という箱の中では、医療がサービスとして成立するには限界があるのでないか?ということでした。医療はサービス業であるというのであれば、「お客様が選べるもの」であるべきだと私は考えるようになりました。しかし、実際はどうでしょう。医療は病気やケガにより必要に迫られ、やむなく駆け込む場所であり、お客様が選ぶ余地は極限られているように思います。病院に一歩踏み入れれば、病院から言われるがままに治療を受けることになるでしょう。もちろんこれは病院が悪いと言っているわけではなく、機能と役割の問題だと思います。しかし、私はその当時の医療の在り方は、サービスという言う名からはまだまだ距離があると感じずにはいられませんでした。
また、ちょうどこの時代に社会保障費の削減により、診療報酬改定が年々進み、これまで継続できていたリハビリがある期日で打ち止めになることになりました。患者様やそのご家族から何とか続けられないかと懇願されたにもかかわらず、私にはどうにもできず悔しい思いをしたことも私の考えの後押しになりました。
もう一つは、患者様が暮らすご自宅や地域で、その方の領域で生活に関わる仕事がしたいと思いが芽生え始めたことでした。これは先ほど述べた、お客様が選べるサービスを作るには、こちらからお客様のテリトリー、つまりその方の地域や生活に入っていく必要があると考えたからです。
そんな想いから、気が付けばとある日の昼休み、同僚に「起業しようと思う!」宣言していました。
思い立ったら後先考えず、行動に移すのが早いのが私の強さだと自負しているのですが、宣言した翌年には、経営を学ぶことを口実に転職し、訪問看護ステーションにて在宅医療・介護の現場で経験を積ませていただきました。
そこでも「4年やったら起業だ!それまでにあらゆるノウハウを吸収してやる。」という意気込みで入職したものの、世の業界の流れに乗るべく、ここでも急に軌道修正し、2年間の修行に集約し、2012年の診療報酬・介護報酬同時改定のタイミングで起業に踏み切りました。
2012年2月8日に起業し、まず最初に着手したのが看護師の求人です。半年後の訪問看護ステーション営業開始に向け、規定の人数をそろえることが必須なのです。そう、私後先考えずに想い先行で動いたので、何のツテもなく1人で起業したのです。普通であれば、初めに1人くらい一緒にスタートする仲間を作っておくべきでだったのかもしれません。今考えても、ほんと勢いだけで始めたよな、と思うのですが、当時の私はアドレナリン出まくっていて「何としてもやってやる」という強い思いがすべてを突き動かしていました。
人財確保から、ステーションの指定申請手続き、資金到達など、わからないことだらけの中、動き回っていたら幸いにもオープニングメンバー4名が何とか揃い、無事に予定通り訪問看護ステーションの営業を開始することができました。
ただ、やっとスタートラインに立てただけであって、本当の試練はこれからでした。
営業開始し3か月後、お客様はまだまだ十分足りない中、一人のスタッフが退職。理由は、「お客さんが来ないし、やることとなくて困るから」と。
やっとの思いで這いずり回って何とか集めたスタッフ。はっきり言って、その時は失望と不信感でいっぱいでしたが、後々病院やクリニックなどの臨床現場ベースの医療専門職が、地域で働くことの難しさ、お客様にうちを使っていただくための営業、そこに対する私の考えの甘さを痛感することとなりました。
幸いにも起業して2年目くらいから、少しずつ私たちの活動が地域で認知され始め、年々新しい仲間を増やすことができました。
そして、少しずつ事業を拡大し、訪問看護の新しい拠点であるサテライト、デイサービス、居宅介護支援サービス、生活支援サービスと順調に事業所を開設いたしました。
その反面、常に胃を痛くしていたのは人財でした。
それもそのはずです。
事業を拡大することが先行し、私の人財に対する向き合う姿勢が間違っていたからです。
私はこれまで理念を掲げていながらも、人財おいてはどこか妥協し、理念に背いていたことに気付きました。それは、「辞めてもらっては困る」という私都合の間違った姿勢でした。
10年経ってやっとこのことに向き合い、私自身の弱さを認めることとなりました。
そして、一緒に働いていただく人財、仲間は真に選ばせていただくことを心に誓いました。
これは、上から物事を言っているのではなく、理念のもと「誰と仕事をするのか」ということです。
殊に、人生の大半の時間を費やす仕事に関して、仲間は傷を舐め合う仲ではなく、共に尊敬し合い、成長できる関係が重要です。
会社にとって、人財は最重要課題であり、最大の資産です。
それを教えてくれたのも、私の大切な仲間たちです。
1
地域、お客様、従業員にとって
居心地の良い、
3方良しを追求する
2
個人プレーに依存せず、
チームプレーによる成果を最大の強みとする
3
「失敗は成功の糧」
とみなが許容でき、
常にチャレンジする
私は、漫画やドラマのようにカリスマ的に人様を引っ張るようなリーダーではありません。
大勢の前に立って、プレゼンしたりするのもどちらかというと苦手です。
そんな代表ですが、頑固さと一途な思いの強さ、そして、私を支えてくれる大切な仲間のおかげで今日も立っていられます。
だからこそ、これからも一緒に歩む仲間には、声を大にして伝え続けます。
私たちワン・ライフの在り方を。
共に感じて、動いて、動く
私たちは、日々の生活の中で誰もがしみじみと幸せを感じることができる地域を創ります。
そのために、私たちは医療、介護、福祉事業を通じて、地域社会の課題解決を行います。
そして、みなが互いに補い合うことによって「感じて、動いて、動く」地域創りを目指します。
「感じて、動いて、動く」とは、感じたコトに心を動かし、それを通じてコトを動かす(行動する)こと。また、行動したことによって、自分だけでなく相手の心を動かすこと、感動を生むことを意味します。
しかし、この過程をすべて一人で行う必要はありません。私たちは、個人プレーではなく、チームプレーを最大の価値としています。
みな誰しも得手不得手があり、誰かの支えや助けが必要です。困っている、悩んでいる人がいたらそっと力を貸してあげてください。あなたが困ったいたら、一人で悩まず助けを求めてよいのです。
私たちは、共に補い、支え合うことによって「共に感じて、動いて、動く」ことを大切にしている会社です。
私たちは、医療・介護サービスを通じて、日本一ホスピタリティの高いサービスを目指しています。
そのために、私たち一人ひとりの成長、チームの成長が必須です。質の高い安定した私たちのサービスが地域の医療・介護のスタンダードになり、さらには、日本のスタンダードになることが私の目標です。
私の思いに触れ、共に成長いただける方はぜひご一緒できればと思います。
最後まで、お目通しいただきありがとうございました。
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